
癖になっているのかもしれません。
自分の小さな願いを、スルーしてしまうことを。
本当は、関心を払って欲しいのに、
「私にかまって」という、その一言が言えないとか、
本当は、ハンバーグが食べたいのに、
「ラーメンでいい?」って聞かれたから
「うん」と、言ってしまったり。
本当は、出かけたくなかったのに、
誘われたから「行く」って言ってしまったり、
食べたい物はそれじゃないのに、妥協して
100円安い、違う食べ物を買ってしまったり、
本当は、嫌いなのに、誰かに合わせて
「私も好き」って言ってしまったり。
本当はものすごく愛していて、
その温かい素直な気持ち伝えなかったり、
本当は、ものすごく反省していて、
「ごめん」って言いたいのに、
その気持ちに反して言わなかったり。
悲しい、怒っている、ムカついている、
腹立たしい・・・って思っているのに、
いつもヘラヘラ笑っていたりしている。
自分の小さな願いは、いつも追いやられてしまい、
いつも、自分のこの小さな願いを叶えてやらないと、
自分は何を求め、何を感じ、何をしたいのかわからなくなる。
どうか、自分の小さな願いをまずは叶えてあげること。
「ぶっちゃけ自分はどうしたいのか?」
それを常に問う姿勢は、自分の本心に気付くことができ、
気付くとどうなるかと言うと、今度は、
その正直な自分の気持ちに沿った行動ができるようになる。
最初は小さな願いを叶えているかもしれないけど、
そのうち、どんどん大きな願いも叶えることができ、
それが人生において、主体的な歩みとなる。
最初は自分がそんな小さな願いを、
スルーしていることさえ気付かずに、
いつも無視され続けるその心は、そのうち疲弊し、
そのうち、どうでもよくなる。
生きる意欲も、食べたい、ということも、
誰かに愛されたい、ということも、
欲と言う欲が、どうでもよくなっていったりする。
そうなってしまうと、生きているのに死んでいる、みたいな。
誰の目も気にする必要もなく、
どうぞ周りに構わず、自分の願いを叶えてあげること。
自分の願いを自分が叶えてやらなければ、
誰が叶えてくれるのでしょう?
誰が、自分の見方をしてくれるでしょう?
もっと自分をいたわり、
もっと自分を喜ばせ、
もっと自分を大切にする行為は、
まずは、小さな願いから叶えてあげてみて。
「小さな事に忠実な者は、
大きな事にも忠実です」
~聖書の格言~
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段ボール箱を開ける時、母親のような愛情を勝手に感じながら、
詰め込まれた野菜や果物を抱きしめます。
あ、母からじゃないですよ?
母からは1度もこういうことをしてもらったことがないです。
母は私と似て究極の面倒くさがり屋でして 笑
なんてかわいらしい…菊南京という、かぼちゃだそうです。
初めて見ました。直径12センチくらいのかわいいかぼちゃ。
送り主様への愛と感謝を思いながら…
もう、煮て食べました。おいしかったー。
愛も染み込んでいる感じ。
高濃度炭酸スプレーの、
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