※雑穀米健康だより更新しました。記事下から読んでね。 母のためにいただい和薔薇。私、この薔薇が一番好きです。香りもよく、そして主張しないけどやっぱり薔薇の存在感と可憐さ。お墓には持っていかず、母に備えているつもりで飾っています。wabara 今日はただの日記。自分の備忘録のために書いています。私にとっては母の死は節目なので、その時の思いは毎年書いておこうと思っています。 13日は母の七回忌です。私の都合で、昨日七回忌の法要をいたしました。 親戚には声をかけず、兄と姪と私だけでお寺にて行いました。 はじまる10分前に到着いたしましたが、兄と姪、おらず・・・ま、いいっか・・・私らしくもあり、母らしくもあるな、と思いました。 母は私の10倍さっぱりしているから。仕事していなさい、というタイプでして。 と思いましたら兄から電話が来て、「今日法事だよね?来ないの?」と、兄は家にお坊さんが来ると思っていて家で準備していたそうです。 10分後に始まるというのに・・・汗「お位牌を持って、今すぐきて。すぐ!JUST NOW!!!!!!」 びっくりすることに4分後に着いた 笑 ま、家からお寺まで、近いっちゃあ近いけど、お墓に上げる花とかお線香など準備したら、15分はかかるかな、と思っていたら、あまりにも早くて驚きましたわ。 法要がはじまりまして、般若心経とりんの音、そして木魚の音が仏前の場所全体に響き、その音が身体の細胞一つ一つを癒やしているかのような音でして、生まれて初めてその音があまりにも心地よく感じました。 お経が唱えられている間、当時の母が逝ってしまったあの日を思い出し、この6年間の出来事も思い出していました。 以前も書きましたが、当時私は人生の中で底を打った時期でした。何もかも失った感がありましたが、まだ心の拠り所となるものもあり、立っていられましたが、そのあとそれさえも失うことになりました。 それでも! まだ手の中に残っているものを数え上げたら、それらは数多くあり私はそれらにかなり支えられていることを思い出し、仏前でのりんと木魚と般若心経の癒やされる声と音に身を任せていました。 その後、お墓掃除をしながら3人で父のことについて相談しました。なんてったって、歩けなくなり8ヶ月も入院して、病気で筋肉が溶けてしまい、骨と皮しかない脚の状態で、施設に入った翌日に立ち上がって少し歩いた、というのですから 笑 その根性と意地!笑 「俺をこんな刑務所みたいなところに入れやがってー!」と暴言吐きまくっていたあの父に、「立って歩けたら退所できるから悔しかったらリハビリ頑張って歩け!」と言い放ち別れましたが、相当悔しかったのでしょうね。笑 施設から電話が来て「お父さんが立ちました!少しだけど歩いたんです!」と電話が来ました。 まるでアルプスの少女ハイジの中でペーターがクララが立ったのを見て「わーい!わーい!クララが立った!クララが立った!」 ・・・みたいな状態。笑絶対に歩ける状態ではないのにね。不可能なことなどないことを示す実例でもあります。 病気が聞いたこともないような病気で腎臓から毒素が出て、筋肉が溶ける病気と言っていましたから、その状態では、もう86歳ですから歩けないだろうなと思っていましたから家に帰りたいことへの執着心が勝ちましたね。 このことから、執着が悪いわけではないことがわかりますね。いやはやすごいわ。 ご供養のあとに、三人で食事をし、他愛もない話をしながら、ああ、やっぱり家族なんだな、と認識。面倒くさがりな部分があまりにも似ていて、血ってすごいな、と思った次第です。 この季節、私は切ない時期でして、青い空と黄色のイチョウの美しいコントラストでさえ、母の葬儀の日を思い出します。 そんな切ない感情を味わっているとき、あゝ、生きている、私・・・とすごく思います。 楽しいことだけではなく、悲しいことも、怒っている感情も切ない気持ちも、苦しい気持ちも孤独感も、よくよく向き合ってみると「あゝ、生きている」と思えるのです。 母は今、そんな感情も感じることなく天国から私達を見守ってくれていると思いますが、私にはあと何年残されているかわからないですね。 人間の致死率100%。 もれなく死ぬことになりますので、その日まで、母にも恥ずかしくないように自分の人生の課題に向き合いつつ楽しく生きようと思います。 母へのお土産は「人生の後半戦、大暴れしてやった!」と言えるように。 本日の質問 あなたはこの世を去る時に先に行った人々に、お土産の言葉として何と言いたいですか?そう言えるために何を今からしますか? 本日から東京入です。早いもので、プロコーチ養成MCCコーチングスクール3期生(4回目開催)リアル集合研修明日はラストになります。締めのスキル満載です。 栽培中農薬不使用 おいしすぎる雑続きをみる
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